携帯電話に小笠原先生からの着信があったのは前日12月6日の午後7時過ぎだった。
その着信に気づいたのは、10時間近く過ぎた翌日の午前4時頃だった。
少し嫌な予感がした。早朝ゆえに電話することは憚れた。もしや?と思いパソコンのメールをチェックしてみると、小笠原先生からのメールが届いていた。
予感は的中した。ロケ初日の往診で訪れた八千代さんの訃報だった。確かに往診時の八千代さんの様子は辛そうに見えた。しかしこんなに急にとは思ってもみなかった。
八千代さんと初めて会ったのは、11月の初旬だった。ロケハンで同行した往診先の一人だった。今、その時の八千代さんの元気な様子が脳裏に浮かんでいる。
八千代さんは慢性呼吸不全を患っていた。元々は公立の病院に通っていたが、3ヶ月ほど前の厳しい残暑の中、急に容態が悪化したという。運悪くその日は土曜日。通っていた病院は休診日だった。家族は藁にも縋る気持ちで、大野病院へ駆け込んだという。
小笠原先生の適切な処置もあって、容態は安定し、以降、往診を続けていたという。
ロケハンで訪れたときに八千代さんはその時の様子や、感謝の気持ちを明るく小笠原先生に語っていた。家族の小笠原先生への信頼の厚さも感じられた。
メールを読みながら、あの時の様子を思い返していた。
八千代さんの容態が急変したのは、私たちが四万十を離れた翌日の12月3日だったという。急を聞いた小笠原先生が駆けつけた時には、意識がなく半身に麻痺が起こっていた。
かなり厳しい状態だったが、在宅で最期まで行こうと云うことになり、その日の夜も翌日の朝も往診し様子を見ていたという。
翌日の昼には意識が戻り、麻痺も消失し、持ち直すかに見えたという。急変から3日目の12月5日の朝には、少し水分も取れたと家族から連絡があったという。
しかし、翌6日の未明に家族が呼吸停止を確認し、小笠原先生が往診し、死亡を確認したと。
メールを読み進めながら、「ひと月前はあんなに元気だったのに…。」という思いが私の頭にはよぎっていた。
しかし八千代さんは、厳しい痛みや苦しみも少なく、亡くなるその日の朝まで、口から水分も取れ、家族とも会話が出来ていた。
無責任に聞こえるかもしれないが、95歳という年齢と既往症である呼吸不全の状態を考えると、「佳い仕舞い」であったと言えるのではないだろうか?
家族に大きな負担を掛けることなく、靜かに旅立った八千代さんに思いを巡らせた。
人の死は、悲しい現実ではある。
しかし命あるモノは必ずその終焉の時を迎える。家族に囲まれ、住み慣れた場所で安心して旅立てる人は如何程いるのであろう?
誤解を怖れずに云う。
延命のための不自然な治療の中での死ではなく、自然の流れの中の死に、救いを感じるのは私だけだろうか?
※患者さんのお名前は仮名です。
(溝渕雅幸)
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